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No.002:将来の社会像(第1回)
将来の社会像(第1回)
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No.001:発行にあたって
発行にあたって
No. 087 update 2005.03.18 PDF版(140.2 kbyte)
今回は「これまでの原子力施設で起きた事故」というテーマで考えたいと思います.「原子力」というと「事故」や「トラブル」という言葉が連想されるのではないでしょうか.確かに,私たちの日常生活の中で「原子力」のことが話題になるのは「事故」や「トラブル」が生じた場合ということになります.考えてみるとこれは「原子力」に限ったことではありません.私たちの「健康」と同じように,「病気」(「事故」や「トラブル」)と無縁であるならば,日常生活の中でそれほど気にしなくてすみます.しかし,現実には様々な問題を生じているからこそ不安を感じます.実際にこれまでに「原子力施設」で起きた事故およびその影響は多種多様です.したがってある程度,客観的に評価するための目安のようなものが必要となります.この目安の一つとして国際原子力機関(IAEA)と経済協力開発機構・原子力機関(OECD/NEA)が協力して策定した国際原子力事象評価尺度と呼ばれる指標があります.具体的には事故を以下のような8段階(0以下は評価対象外としています)に区別しています.7:深刻な事故6:大事故5:所外へリスクを伴う事故4:所外への大きなリスクを伴わない事故3:重大な異常事象2:異常事象1:逸脱0:尺度以下 これまでに起きている事故でレベル「7」の「深刻な事故」に相当するものは,1984年に旧ソ連で発生したチェルノブイル事故です.この事故は,周辺への影響という観点から,原子力発電史上最悪の事故と言えます.●チェルノブイル事故(1986年4月26日)ウクライナ・チェルノブイル−4号機で発生した,原子炉の爆発を伴う大量の放射性物質への環境への放出を伴った史上最悪の事故.原子炉の過剰反応を伴う「反応度事故(原子炉の暴走)」であり,蒸気爆発で炉心の一部が破損し,さらに黒鉛火災が起こり,建物の一部が吹き飛んで大量の放射性物質が放出されました.1988年の国連科学委員会(UNSCEAR)年報告によると,事故時に原子炉サイト内で大量被曝を受けた人は203名で,放射線の急性障害による死者は28人,事故当日に重度の火傷で死亡した1人,行方不明1人名を含む31名(原子炉運転員2名と消防隊員29名)が犠牲になりました.さらに,この事故では発電所から半径30km以内の住民13万5000人が避難しました.事故の状況から考えると多くの人々が被曝したと考えられており,事故の影響は「事故」から20年近く経過した現在も続いており,「原子力」施設の事故が長期間にわたって甚大な被害をもたらすことを目の当たりにしています.レベル「6」の「大事故」に該当する事故は,これまで報告されていません.次のレベル「5」の「事業所外へリスクを伴う事故」に該当する事故としては,1979年の米国・スリーマイルアイランドで発生した事故と,かなり時代が遡った1957年の英国・ウィンズケール原子炉事故があります.●スリーマイルアイランド(TMI)事故(1979年3月28日)アメリカ・TMI−2号機で発生した「冷却材喪失」事故です.チェルノブイル事故は「反応度」事故であり,日本や米国で稼動中の軽水炉では原子炉特性の違いから「反応度」事故を回避できる確率は高いと考えられますが,「冷却材喪失」は冷却系の破断等により誘発される可能性があります.TMIの場合は冷却系の破断ではなく,原子炉に設置されている加圧器逃し弁または安全弁から大量の一次冷却材が漏洩したまま長期間運転を継続したことにより発生しました.炉心の水が蒸発し,原子炉の空焚き運転となった結果,炉心上部が露出し燃料温度が急上昇し,炉心燃料の溶融が発生しました.格納容器内は汚染され,放射性希ガスと放射性ヨウ素の施設外への放出が生じました.●英国ウィンズケール原子炉事故(1957年10月7日)イギリス・ウィンズケールにあった軍用原子炉の火災事故が発生しました.原子炉の材料である黒鉛が過熱され,燃料の融解と破損とともに黒鉛火災が生じました.この火災により大量の放射性物質が周辺の環境中に放出されました.(出典:http://www.remnet.jp/lecture/module_A/1_2.html)この他,世界的に規模の大きな事故としては1957年9月に旧ソ連の南ウラルの核兵器工場で発生した化学爆発があります.この事故は英国に亡命した生物学者のジョレス・メドベージェフ氏が1979年に発表した著作「ウラルの核惨事」で西側諸国に初めて伝えられましたが,ソ連当局(当時)が公式に認めたのは1989年6月16日のことでした.ソ連当局が原因と影響を詳細にまとめた報告書によると幅9キロ,長さ105キロにわたる範囲が放射能に汚染され,当時1万人以上が避難せざるを得なくなった,とされています.レベル「7」,「6」,「5」に該当する事故は国内では生じてはいませんが,レベル「4」の「事業所外への大きなリスクを伴わない事故」として1999年9月に発生したJCOの臨界事故があります.この事故では急性放射線障害で2名のJCO社員が死亡するとともに,約20時間に及び臨界状態が続き,半径350m圏内の住民に避難要請,半径10km圏内の住民に屋内退避要請が出されました.世界では,1945年から1999年までの間に60件の臨界事故の発生が報告されています.発生場所としては原子炉や臨界実験装置で38件,核燃料物質取扱施設で22件となっています.この他,国内で発生した「原子力施設」事故としては,1997年3月に起きた旧動力炉・核燃料開発事業団(現在の核燃料サイクル開発機構)アスファルト固化処理施設火災爆発事故(レベル「3」),1991年2月の関西電力・美浜2号炉蒸気発生器伝熱管損傷事故(レベル「2」),1995年12月の高速増殖炉もんじゅ二次系ナトリウム漏えい事故と1999年7月の日本原子力発電の敦賀発電所2号炉原子炉冷却材漏えい事故(いずれもレベル「1」)等があります.「事故」や「トラブル」以外にも原子力に関連する不祥事が生じており,原子力に対する「信頼」感は大きく失われています.このような状況から,「原子力」は「何となく人を不安にさせる」技術の代表になっているように思います.「原子力」に対する「不安」,「恐れ」等の感覚を若干でも軽減できるとすれば,「原子力」に携っている「人」に対して「信頼」を増すことができるかどうか,に尽きるように感じています.
[文責:スリー・アール 菅井弘]
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