No.082:年始のご挨拶(2005年)

「年始にあたって」

No.081:原子力(第4回)

国策と原子力の関係

No.080:原子力(第3回)

国内外での原子力利用の現状

No.079:原子力(第2回)

原子力って何?

No.078:原子力(第1回)

なんとなく原子力

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No. 081 update 2004.12.18 PDF版(162.1 kbyte)

原子力(第4回)

国策と原子力の関係

 今回は,「国策と原子力の関係」というテーマで考えたいと思います.

 原子力の平和利用に関してはアイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower)米大統領が1953年12月8日の国連総会で「平和のための原子力」(Atoms for Peace)と題する演説が一つの契機になったと考えられます.実際の演説では平和利用問題は演説の最後の部分に出てくるだけで,軍事利用(核管理)問題が中心命題であったようです(出典:金子熊夫氏著,他力本願から自力本願へ http://www.eeecom.jp/030929AFP50Kaneko.htm).

 日本では,同演説の本来の意味とは関係なく,この演説を専ら原子力平和利用を提唱したものとして扱われる傾向が強いようです.ところで,原子力の利用は今日でもエネルギー政策の一環としての「国策」であると考えられていますが,一体,いつごろから「国策」という位置づけになったのかという素朴な疑問が沸きます.そこで,原子力開発の歴史的な経緯を簡単に振り返ってみたいと思います.

 1954年3月,自由党,改進党,日本自由党の3派による原子力予算2億5000万円(原子力平和的利用助成費2億3500万円+ウラン資源調査費1500万円)を盛り込んだ予算案の国会提出が突然決まりました.原子力研究に慎重だった日本学術会議の方針は,転換を迫られることになりました.真偽のほどはわかりませんが「学者が居眠りをして怠けているから,札束でほっぺたを打って目を覚まさせるのだ」と政治家が言い放った,と伝えられています.

 原子力予算案は,科学者たちの反対があったにもかかわらず成立し,政治主導という形で日本の原子力開発はスタートがきられました.しかし,この段階では原子力の利用について一部の政治家とその賛同者が主役となった出来事に過ぎず,「国策」という認識での原子力の開発という位置づけはできない,と考えます.

 いずれにしてもこのような政治主導の決定が契機となり,1955年に原子力基本法及び原子力委員会設置法が議員立法として超党派的な支持の下に成立しました.そして,原子力の開発を平和目的に限定することを基本とし,自主・民主・公開の3原則を基本方針として開発がスタートしました.ある意味,この時期に「国策」として原子力利用が認識された,と考えることができるのかもしれません.

 当時は超党派(民主党,自由党,社会党)の有志議員が国会内に原子力合同委員会を組織して取組んでいることから,国内には原子力利用に対する異論はあまりない状況であったと推察され,現在の原子力利用に対する感覚とは隔世の感があります.

 そして,原子力委員会は1956年に設置されると直ちに原子力の開発利用に関する長期的な計画を策定するための検討に入り,同年中に「原子力開発利用長期基本計画」を定めました.この時期は,まさに「原子力ブーム」と言っても過言ではない状況であったようです.

 このような「原子力ブーム」の時代を反映してたのか,1952年4月には漫画「鉄腕アトム」の連載が始まり,1963年には「鉄腕アトム」のアニメシリーズが始まりました.アトムが「科学の子」と呼ばれており,日本で原子力発電が初めて実現したのも1963年であることを考えると,当時は「原子力」や「科学」に対してまた「夢」を感じることのできる時代であった,と想像できます.

 この種の「原子力ブーム」は,日本に限ったことではなく,欧米諸国でも同様な時期があったようです.それ以降の原子力の動向は各国各様ですが,世界的な原子力に対する位置づけは,アメリカの動向が大きく左右したようです.具体的には1950〜60年代にかけて核兵器拡散の危機に直面したことが一つの契機となりました.

 この時期,核兵器保有国としてアメリカ(1945年),ソ連(1949年),イギリス(1952年),フランス(1960年),中国(1964年)が名乗りを上げ,世界的な核拡散に対する不安が高まる一方,増大するエネルギー需要に対する供給源として原子力の利用を期待する,という二面性の問題が生じてきました.

 この問題は,原子力平和利用計画と核拡散防止条約の両立という立場で何とか対処されてきましたが1970年代に入り,インドが自国原子炉から得たプルトニウムを用いた核兵器開発に成功する(1974年)と,にわかに核拡散への抑止が政治問題として再燃することになります.

 1977年4月にカーター政権(1977〜1981年)が打ち出したプルトニウムモラトリアム政策によって,バーンウエル再処理工場(商業用),クリンチリバー高速増殖炉,民間のプルトニウム燃料加工工場など,アメリカ国内のバックエンド関連事業は全て中止となりました.この時期がある意味,世界の原子力にとっての一つの大きな転換期になったと考えられます.

 アメリカの原子力政策の転換が契機となって,国際的グループである国際核燃料サイクル評価グループ(INFCE)の3年にわたる検討の末,従来の原子力発電とプルトニウムを燃料として活用する高速増殖炉は,核拡散の可能性を高めることにはならない,という結論で議論が収束しました.

 いずれにしても,原子力を平和利用という目的に限定しても,常に核拡散,すなわち核兵器への転用可能性が問題となり,「政治的」な影響を免れないことが明らかになりました.現在のイランや北朝鮮の核兵器開発疑惑も,同一線上にある問題と考えることができます.

 アメリカでは1974年以降,原子力発電所の新規建設はありません.これは,カーター政権誕生前からの状況で,1970年代の2度にわたる石油危機による経済成長の減速および電力需要の伸びの低下が主な原因と考えることができます.さらに1979年に起こったスリーマイルアイランド原子力発電所の事故以降は原子力に対する社会的な反対が高まりました.

 このような世界的な動向とは裏腹に,日本では1970年代の2度の石油危機を経て,エネルギー資源最貧国としてのエネルギー安全保障上の必要から一貫して,準国産エネルギーである原子力重視政策が進められてきました.

 日本における「国策」としての原子力利用に関する基本的な方針を具体化したのが,原子力委員会が策定した原子力開発利用長期計画(正式名称:「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画」)と捉えることができます.

 長期計画は,日本における原子力開発利用の基本的政策を定めたもので昭和31年(1956年)に初めて策定されて以来,5年程度を目安にその時々の情勢を踏まえて改定されています.最新の原子力長期計画は平成12年(2000年)11月に策定されたもので,さらに新しい計画が平成17年(2005年)中にまとめられることになっています.

 これらの経緯を踏まえると,「国策」としての原子力がスタートして,ちょうど50年が経過した言えます.この間,社会情勢も大きく変化し,「原子力」に対する認識も大きく変化しました.

 そして,既存エネルギーおよび新エネルギーを含むエネルギー全般に関する基本政策となる「エネルギー政策基本法」が議員立法として国会に提出され,2002年年6月7日に成立,同月14日に公布・施行となりました.

 しかし,エネルギー情勢を客観的に捉えることは容易ではなく,今後のエネルギー資源の確保策として一体どのような選択肢があるのかは霧の中という感じがします.例えば,エネルギー政策全体の中で「原子力」や「新エネルギー」が受けている支援措置の現状もあまり理解できません.

 「国策」である原子力に様々な「利権」が伴うのも確かです.したがって,「国策」ができるだけ特定の利権と結びつかないような方策を確立することも重要です.本来,エネルギーの「国策」とは,将来的に安定して「エネルギー源」を確保するための政策である,と考える必要があります.

 「化石燃料」,「原子力」や「新エネルギー」の区別なく,できるだけ主観を排してエネルギー源を扱い,理想論ではなく,現実を踏まえたエネルギー政策としての取り組みが将来のためにも必須と感じています.

 「国策」に限らず物事に無関心であることが,特定の「利権」に有利となることは間違いありません.「原子力」の利権が衰退すれば,別なところに「利権」が生まれます.「新エネルギー」と言えども例外ではない,と考えます.

 好意的に見られている種々の「リサイクル」政策にしても,とても「利権」と無縁とは思えません.「利権」はいたるところに存在し,完全になくすことは困難ですが,ある程度抑止することは可能,と思います.

 そのための唯一の対抗策は,私たち一人一人があらゆる問題に関心を払い,他人の見解を鵜呑みにすることなく,時には自らの手で徹底的に調べ,考えてみることにあると思います.このメルマガも,読者の皆様にとっては「他人の見解」に過ぎません.あくまでもご参考程度,とお考えいただければと思います.

[文責:スリー・アール 菅井弘]

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