No.112:廃棄物(第5回)

廃棄物(その5)

No.111:廃棄物(第4回)

廃棄物(その4)

No.110:廃棄物(第3回)

廃棄物(その3)

No.109:廃棄物(第2回)

廃棄物(その2)

No.108:廃棄物(第1回)

廃棄物(その1)

No.107:風力発電(第7回)

風力発電(その7)

No.106:風力発電(第6回)

風力発電(その6)

No.105:風力発電(第5回)

風力発電(その5)

No.104:風力発電(第4回)

風力発電(その4)

No.103:風力発電(第3回)

風力発電(その3)

No. 017 update 2002.05.01 PDF版(14.9 kbyte)

エネルギー(第1回)

はじめに

 今回から新しいテーマとなります.正直なところ考えてみたいこと,考えておく必要のありそうなことは沢山あるように思います.その中から今回は「エネルギー」を選択しました.エネルギーの定義については本メルマガ第9号(http://www.melma.com/mag/87/m00046087/a00000009.html)でも若干触れましたので再読いただければと思います.

 エネルギーは「技術」の問題であるばかりでなく,「社会」や「人間」との関係が深い問題です.また資源や安全面では地球全体の問題でもあります.しかし,普段の生活で議論されるのは供給手段としてのエネルギーに関するものが多いようです. 

 例えば,最近の話としては,経済産業省が国会に提出した「新エネルギー発電法(電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法)」案に対する議論があります.この法案は電力会社が供給する電力の一定割合を新エネルギーで発電するよう義務づける内容となっています.その対象に風力,太陽光と並んで,廃棄物の焼却熱で発電する廃棄物発電を想定している点が問題となっています.

 廃棄物発電が普及すれば,地球温暖化をもたらす二酸化炭素(CO2)の排出量が増加することや,他の自然エネルギー(具体的には太陽エネルギーや風力エネルギー等)普及の妨げになるという点をNGO(非政府組織)が問題と指摘したことが発端のようです.
 
 確かに自然エネルギーは優れたエネルギー源の一つですが,自然エネルギーのみで現代社会が消費するエネルギーを十分賄えるのかどうかは正直私にはわかりません.どうしても特定のエネルギーに思い入れを強くすると周りが見えなくなりがちです.「石油」,「石炭」,「LNG」,「原子力」等の専門家は自分たちの技術に思い入れが強くなります.同じことは新エネルギーである「太陽」,「風力」や「燃料電池」等の専門家も基本的に変わらないと考えます.

 思い入れがあることは決して悪いことではありません.思い入れが強くなければ,とても困難な問題を解決しながら技術を進歩させることはできないと思います.しかし,それぞれのエネルギーにはそれぞれ長所と短所があります.これらの各エネルギーの特徴を正確に理解することが必要と考えます.

 現実には「エネルギー」に関する問題は複雑でとても全体を把握することはできません.しかし,全体的なイメージを描く努力はしてみる価値があるように思います.そこで,まず各エネルギー供給技術の特徴と現状を知ることから始めたいと思います.対象とする生産技術は以下のようなものを取り上げることとします.

既存エネルギー

・石油
・石炭
・LNG(液化天然ガス)
・原子力発電
・水力発電

供給サイドの新エネルギー

・太陽光発電
・風力発電
・廃棄物発電
・バイオマス
・太陽熱利用
・廃棄物熱利用
・廃棄物燃料製造
・雪氷冷熱

需要サイドの新エネルギー

・燃料電池
・天然ガスコージェネレーション
・クリーンエネルギー自動車

その他(メタンハイドレート等)

 また,前回のテーマではあえて取上げませんでしたが,海外の実情,特に日本で比較対照として引合いに出される国々を中心に各国のエネルギー事情についてもできるだけ客観的な立場から情報を整理してみたいと思います.なお,現時点ではどの程度の情報を入手できるかは見当がつきませんが以下の国々の実情について考えてみる予定です.

・中国
・韓国
・台湾
・アメリカ
・カナダ
・ドイツ
・フランス
・イギリス
・ロシア
・スウェーデン
・ブラジル
・インド
・エジプト

 ところで,エネルギーとは直接関係していないのですが,個人的に気になっていることがあります.「地球」にとって「人類」とは一体どのような存在なのかということです.これに関して,J・ラヴロック氏はガイア理論という興味深い考え方を提唱しています.

 ガイア理論(仮説)とは「地球は整合性のある一つの生命体であり,地球生命圏はその化学的・物理的環境を,生命現象にとって望ましい状態に保つ自己調節能力と自己更新能力をそなえた,一個の巨大な生命体である」というものです.そして「地球は一つの生命体であり,人類はほかの生物とともにその構成員の一つにすぎなく,ともに地球によって生かされている」という「共生」という概念が生まれます(出典http://www.green-web.ne.jp/conten/books/book98051.html).

 余談ですが,この仮説を踏まえて制作されたのでしょうが,ちょっと前のウルトラマンシリーズに「ウルトラマン・ガイア」という番組があります.「地球」という立場から見た「人類」の位置付けについて考えさせられるところがあり,子どもたちと一緒に見ながら,考えさせられる番組でした.

 また,団藤保晴氏の「インターネットで読み解く!」第43回「宇宙開発と『地球号』の乗員たち」(http://dandoweb.com/backno/980319.htm)に地球の資源的な限界に関する記述があります.

 食糧問題もそのひとつで,家畜に与える穀物なども含めると「西暦2000年には,1人当たりの穀物必要量は1年当たりで692kgにのぼると見積もられており,この場合の地球の定員は125億人」となるとのことです.この数字は現在の62億人の約2倍ですが,増加見通し等を考慮すると今世紀中に定員オーバーとなる可能性が高いと言わざるを得ません.

 他の例では穀類の世界総生産量は1年間で18億トンであり,これを1人当たり1年間の健康な生活を維持できる下限といわれている消費量で割ると,地球の定員として80億人と報告されています.さらに,この総生産量の50%は家畜の飼料として消費されているので,実際の地球の定員は50億人が本来の限度としています.(http://www.jba.or.jp/q-and-a/nyumon/main-04.html)

 日本に暮らしていると「食料」や「エネルギー」がなくなることなど,とても想像できません.しかし,地球規模で見ると既に食料やエネルギー消費量は生産や資源の面から「限界」に近づいているように見えます.これらの問題を悲観的に考えても何の解決にもなりません.

 今回のテーマでは,私自身が「エネルギー」問題の全体像をイメージした上で,将来に備えて何ができるのかを考えてみようと言う試みです.何か結論を得よういうことではありませんので,読者の皆様ご自身がエネルギーについてお考えになる際の一助となれば幸いです.

[文責:スリー・アール 菅井弘]

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