No.112:廃棄物(第5回)

廃棄物(その5)

No.111:廃棄物(第4回)

廃棄物(その4)

No.110:廃棄物(第3回)

廃棄物(その3)

No.109:廃棄物(第2回)

廃棄物(その2)

No.108:廃棄物(第1回)

廃棄物(その1)

No.107:風力発電(第7回)

風力発電(その7)

No.106:風力発電(第6回)

風力発電(その6)

No.105:風力発電(第5回)

風力発電(その5)

No.104:風力発電(第4回)

風力発電(その4)

No.103:風力発電(第3回)

風力発電(その3)

No. 016 update 2002.04.15 PDF版(17.7 kbyte)

30年間の変化(まとめ)

まとめ

 今回のテーマである「30年間の変化」について考えてみたのは,日本の将来像を考えるモデルとして海外の事例を引合いに出すのではなく,少し過去の「日本」の状況を思い起こすことで,自分たちの社会像は自らの経験をベースに構築できないものか,と思ったためです.様々な観点から日本での変化を考えてきましたが,現在当り前となっていることが,ほんの少し前には決して当り前のことではなかったということに気が付きます.

 以前にも述べたとおり30年前(35歳以上の方は実感できるイメージと思います) には自家用車はほとんどなかったし(少なくとも私の育った家庭では),ファミコンや携帯電話,インターネットもない時代でした.子どもたちは日が暮れるまで外遊びに明け暮れ,貧しさの中にもそれなりも充実感があったのではないかと思います.

 現在は「物質的」には非常に豊かになりましたが,精神的には豊かさの実感はあまりないようです.確かに失業問題,政治不信や財政破綻の危機など日常生活に影響を与える問題は山積です.しかし「日本」だけのことを考えるならば,そんなに暗い将来ではないように思います.特に,「人口」の爆発的な増加という難問を抱える国々と比較すれば直面している問題の多くは決して解決不可能なものではないように感じます.

国内「人口」

1970年  103,720千人
1980年  117,060千人
1990年  123,611千人
2000年  127,030千人(1970年の約1.22倍)
2007年  127,782千人(ピークと予測)
2050年  92,309千人〜110,962千人(予測値)
2100年  50,884千人〜90,085千人(予測値)


 「人口」問題が重要な要因と考えるのは,現代社会のように各個人の選択の自由をできるだけ許容し,制約をできるだけ回避した上で,国全体としての資源,エネルギー消費量や廃棄物発生量を抑制することは人口の将来動向を抜きしては論じることができない,と考えるからです.

国内での一般廃棄物発生量推移(千トン)

1975年  42,180 
1980年  43,950
1990年   50,441
1996年  51,100(1975年の約1.2倍)

国内での産業廃棄物発生量推移(万トン)

1975年  23,600
1980年  29,200
1990年  39,500
1996年  40,500(1975年の約1.7倍)

国内の一次エネルギー消費(石油換算百万トン)

1973年   324 
1985年   367 
1998年   510(1973年の約1.57倍)
 
国内の販売電力量(億kWh)

1975年度 3,490
1985年度 5,219
1995年度 7,570
1999年度 8,169(1975年度の約2.3倍)

 1970年代以降の一般廃棄物の一人当りの発生量はほとんど増加していません.一方,産業廃棄物,一次エネルギー,販売電力量は確実に増加しています.これらは,社会の「質」的な変化に伴うものとも考えられます.そして,質的変化に応じて使用量や供給量を増加させることができる性質のあるものとも言えそうです.これに対し「水」のような海外からの資源輸入ができないものは使用量がほとんど増加していません.

国内の「水」使用量

1975年  生活用水 114億m3
     工業用水 166億m3
     農業用水 570億m3
     合  計 850億m3 

1998年  生活用水 164億m3
     工業用水 137億m3
     農業用水 586億m3
     合  計 887億m3(1970年の約1.04倍) 

 食料やエネルギーは現時点で比較的問題なく海外から輸入できているため,穀物自給率30%以下,エネルギーの海外依存度約80%というある意味で危機的な状況にあっても不安をほとんど自覚することがないと言えます.

食料自給率の変化

1970年  穀物自給率       46%
     主食用穀物自給率    74%
     供給熱量総合食料自給率 60%
     金額ベースの食料自給率 80%
1999年  穀物自給率       27%
     主食用穀物自給率    59%
     供給熱量総合食料自給率 40%
     金額ベースの食料自給率 72%

主要先進国におけるエネルギー供給構造の比較(1995年)
   
          日本  米    独  仏   英 
輸入依存度(%)   79.9  21.0  59.8  48.8 ▲14.7 
石油依存度(%)   53.6  39.0  36.7  35.8  36.5 
石油輸入依存度(%) 99.7  52.1  97.5  97.2 ▲58.6 


 また,日本では過去のような経済成長を再現できないことはGNPの動向にも現われているようです.国内経済は「成長」の限界点に至った訳ではないとは思いますが,少なくとの一つの「峠」を越えて「成熟期」に入った,と捉えた方が良いように感じます.

国民総生産GNP(兆円) 

1970年  73.188
1980年  243.256
1990年  444.687
1995年  501.575
2000年  518.257(1970年の約7倍)

国・地方の債務残高の変遷

1970年  7.3兆円 
1980年  118.2兆円 
1990年  265.8兆円 
1995年  410.1兆円 
2001年  666.4兆円(1970年の約90倍)


 経済素人の立場から言えば,もし我が家の借金が666万円で,家族が協力して産み出せる付加価値が年間518万円であったとすれば,とりあえず毎年50万円分を借金返済に充てるくらいの努力はするように思います(状況を正確に示している訳ではないと思いますが).このような努力で金利にもよりますが20年くらいでかなり返済できる可能性があります.

 国家は家庭とは異なりますが,借りたものは返すのが道理です.そのためにはGNPの観点からは1990年以前を思い浮かべ,生活を見直すことが必要と思います.とても生活レベルを落とせないというのであれば,せめて「成長の限界」や「ゼロサム社会」を意識した社会とすることは避けられないと思います.小手先ではない,十分に熟慮の上で意識改革を伴う取組みを行っていくしか解決策がないように思えるのですが・・・.

 しかし,「経済」を軽視することはできません.私たちに与えられている様々な選択の自由は「経済」力という蓄えがあればこそ実現できることなのではないか思います.「経済」的な豊かさが失われれば生活の余裕を失います.そして失業や個人破産が増え,経済的な貧しさから社会が混乱します.国内の自殺者が年3万人を超えているような事態を無視することはできないように思います.

国内での「事故」の死因

         総数    男     女
 
交通事故         12,857    9,072    3,785 
自殺            30,251   21,656    8,595
他殺               768      426      342
その他の外因    3,302    2,064    1,238 


 今回,「30年間の変化」を振り返ることで,将来社会のイメージを持つのに参考になるのではないかと考えて取組んできました.私自身としてはまだまだ考えがまとまりませんが,「経済」的あるいは「物質」的な豊かさのみでなく,「精神」的な豊かさを感じることのできるような社会が浮かんでいます.しかし,実現がこれほど難しい社会はありません.「精神」的な豊かさは形として示すことができません.私たちは「形」が認識できるものの価値を優先しがちです.

 社会の受容力も大きくはありません.日本では敗者復活は難しいようですし,出る杭も徹底的に叩かれるようです.また直ぐに「敵」か「味方」かの議論になっているように感じます.このような状況ではとても「精神」的な豊かさを感じることはできないように思います.子供社会の「いじめ」が問題となっていますが,私にとっては大人社会の「いじめ」が目につきます.「力」の暴力以上に「言葉」の暴力が際限なく広がっているように思えます.「精神」的な豊かさを実感できる社会を構築しようとするならば,まず「大人」が自分の言動を反省することから始める必要がありそうです.

 自己主張するだけでなく他人の主張にも耳を傾けること,「主張」と「人格」を切り離して議論すること,様々な考え方に触れた上で自分なりの考え方を構築すること,部分のみではなく全体を考えること,相手の立場を思いやった上で自分の考えを主張すること,主張した内容にはそれなりに責任を持つこと,等を踏まえて将来の社会について常に考え続けることが第一歩と思います.

 残念ながら精神面での変革には時間がかかります.10年,20年ではとても変わることができないように感じています.世代を越えた取組みが必要と思います.私たち「大人」と呼ばれている世代が様々な問題について自ら「考え」,将来について「子供」たちと語り合うことから取組む必要がありそうです.私自身も将来の社会像を冷静かつ継続して考えるとともに子供たちと「どんな社会に暮らしてみたいか」を話し合うことから始めてみたいと思います.きっと「物質面」と「精神面」でそこそこバランスの取れた社会なのかなあ,と現時点では漠然と考えています.      

[文責:スリー・アール 菅井弘]

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